【第59公演】で初演される注目作品について作曲者にインタビュー

大阪クラシック2008注目の公演のひとつ、【第59公演】。
作曲者の有木純一さん、チェロの庄司拓さんにお聞きしました。
第59公演<Triptyque(トリプティク)~アルト・サクソフォン、ヴィオラ、チェロのための~>

-今回「大阪クラシック」で新たな作品を委嘱されたということですが。

庄司:これまでにも2~3回有木さんの作品を初演してきました。大学時代の先輩後輩の間柄で、有木くんにとっては融通の利くチェリスト、僕にとってはとても美しい作品を初演させてくれる作曲家であり面白い後輩です。

-珍しい編成の曲ですね。特にサクソフォンの西本さんと一緒に演奏されようと思われたのは?

庄司:大阪フィルに客演に来られるたび、素晴らしい音を聴かせてもらっています。たまたま楽屋で隣に座ったとき、眼鏡の趣味が合い、お互いコレクションを見せ合おうということで盛り上がりました。今回の共演者は3人ともベルギーのアントワープで作られているTheoというブランドのものです。(ちなみにヴィオラの大槻さんは奥様で、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団のアソシエイトプレイヤー)

-有木さん、今回アルト・サクソフォン、ヴィオラ、チェロという一風変わった編成ですが。

有木:それぞれ孤立した音、音色が段々似た形になり重なり合っていきます。残響の波形が亡霊のようになり、それが独り歩きしだします。実は作品には非常にアイロニカルな意味合いもあります。-現代において作曲をされる上で、感じていらっしゃることや、有木さん特有の音楽作りはありますか?有木:むしろ近頃はコンセプトが薄れてきています。音色や構造に目が行きます。また、作曲家としてこのように演奏して欲しいという欲求より、奏者に委ねる部分が多くなりました。予想外なものができてもいいと思いますし、想像以上の作品として実演されることもあります。

-クラシック作品の演奏が目指すところは、作曲家の書いた唯一の正解を求めてという部分があるように思いますが、いかがでしょうか?

有木:僕は場所によって作品の仕上がりが変わることは必然だと思います。音が生まれたら自然に流してあげたい。楽譜の書き方もかなり自由で、解釈の幅も広意義に捉えることができます。例えば、この音符を~秒の間に入れるといったような。そういう意味では、時には残響によって楽譜が変化しても許容されると思っています。残響の多いところでは細かいパッセージはゆっくり、聴き取れるように奏される必要も生まれますし。もっと言えば、車の音、人が歩く音、良い意味ですべて音楽の一部であり、その場に在った環境によって創り出された音楽ともいえます。庄司:現代作品を演奏するときは、作曲家がいるのでむしろ安心できます。なによりどの作品にも必ず初演があったわけですから、その初演に立ち会え、音楽がこの世に生を受ける瞬間にそこにいる喜びは格別です。皆さんにもぜひ初演の空間を楽しんでいただきたいですね。

ここからは作曲家有木純一さんとの対話~

-パリのエコールノルマル音楽院に留学されていらした際のお話をお聞かせください

有木:授業は週に1日から2日です。ただし授業中は部屋に缶詰です。バスティーユ・オペラの近くに住んでいました。2年間の留学でしたが、あちらでは文化、芸術家に対する補助が手厚いと感じました。例えば美術館は学生証があればいつでも無料で入れました。芸術を本当に大切にしているのだと思います。作曲を勉強しているというと喰いついてきます。無論とても厳しくジャッジされますが。

-日本にいた頃と比べていかがですか?

有木:強烈に感じたのは、芸術に対するレベルといいますか、目が肥えているように感じます。いつも本物を見ているという感じです。現代音楽の演奏会も多く、子供からおじいちゃんまで楽しんでいます。レアな作曲家の演奏会に出かけても子供がきていて、広い客層が興味を持って来ています。

-なにか印象に残る出来事はありましたか?

有木:あるとき、ザオ・ウーキー(Zao Wou-Ki)という中国の素晴らしい芸術家が個展を開きました。しかもパリ市が助成してプティ・パレで!この個展は入場してから出口を出るまでの間にウーキーが感じている葛藤が切実に伝わってきました。おそらく一枚の絵を見て読み取るのは難しかったと思います。この個展は毎日長蛇の列をなしていました。他国の芸術家であっても素晴らしい芸術であればパリ市をあげて取り組むという、芸術に対する深い理解が実証された象徴的な機会でした。無論なんにでも出すわけではなく、本物を見分ける目を持っているのですね。例えば、作曲するにしても、なんとなく東洋風に書いてみましたという作品は、いっぺんに見破られます。探して探して出てきたものが、結果的に日本的なものであったというのは、ちゃんと評価されます。アンテナを常に張っていて受け入れる状態ができあがっているのですね。真の意味で文化に対して非常に高いレベルにあるのだと痛感しました。

-日本に戻ってこられてどのように感じられましたか?またなぜ大阪に?

有木:1~2年は正直恨めしくさえ思っていました。
パリでは実際に仕事を見つけてあげるよという話もありましたし、講演なども。しかし、日本でやりたかった気持ちが強かったのと、帰れば何かしら仕事があるだろうと思っていました。自分も甘かったのでしょうね。
でもどうしてなのか、大阪には“いないといけない”という気持ちがありました。

-どのような作曲活動を?

有木:室内楽の作品がほとんどです。オーケストラの作品を書いたことはありません。京都や滋賀で作品を発表する機会が多いですね。田舎といっては失礼ですが、むしろ柔軟に受け入れてくださり、楽しんでくださっているように感じます。先日友人のポップスのライヴの間に現代音楽を挟んでもらったのです、とても自然に楽しんで聞いていただけました。提供の仕方によって現代音楽でもすんなりと純粋に理解しようと聴いて頂くことができるのだと思いました。

-9月13日の初演がますます楽しみです!

有木:頑張って仕上げます(笑)

<プロフィール>有木純一 1975年岡山県生まれ。相愛大学音楽学部音楽学専攻卒、同大学専攻科修了、パリ・エコールノルマル音楽院作曲家に留学。2002年満場一致の最高成績でディプロム取得。2003年SACEM奨学金を得て高等ディプロム取得。第10回東京国際室内楽作曲コンクール第3位。作曲を故 平義久氏に師事。大阪学友協会付属音楽研究所所員。日本音楽学会会員。